SFで博士なアニメ映画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のSFで博士な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年10月05日の時点で一番のSFで博士なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

84.0 1 SFで博士なアニメランキング1位
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(アニメ映画)

2021年3月8日
★★★★★ 4.2 (439)
2014人が棚に入れました
 エヴァがついに完結する。2007年から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズとして再起動し、『:序』『:破』『:Q』の3作を公開してきた。その最新作、第4部『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の劇場公開が決定。人の本質とは何か? 人は何のために生きるのか? エヴァのテーマは、いつの時代にも通じる普遍的な核を持っている。
 シンジ、レイ、アスカ、マリ、個性にあふれたキャラクターたちが、人造人間エヴァンゲリオンに搭乗し、それぞれの生き方を模索する。人と世界の再生を視野に入れた壮大な世界観と細部まで作り込まれた緻密な設定、デジタル技術を駆使した最新映像が次々と登場し、美しいデザインと色彩、情感あふれる表現が心に刺さる。
スピーディーで濃密、一度観たら病みつきになるその語り口は、興行収入80億円超えの大作『シン・ゴジラ』も記憶に新しい庵野秀明総監督による独特の境地。その庵野総監督がアニメーションのフィールドで創作の原点に立ち返り、新たな構想と心境によって2012年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』以後、封印されてきた物語の続きを語る。
 1995年にTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』でアニメファンのみならず、アーティストや学者までを巻き込んで社会現象を起こした初出から、実に25年――その間、常にエポックメイキングであり続けたエヴァの、新たな姿を見届けよう。

声優・キャラクター
緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、立木文彦、清川元夢
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

現実を見ればマリがいる。結婚して遺伝子残そう。追記 エヴァ世界の構造について

 新劇場版4作を見て、考察したエヴァの構造についてです。2回目考察の追記であり、ほぼ結論です。

 ファーストインパクトは出生、セカンドインパクトは乳離れ(母親との別離)、サードインパクトは思春期の卒業あるいは性体験、父からの親離れ、フォースインパクトは死だと思われます。なお、セカンドインパクトは後で旧版などで確認します。
(旧版確認しましたが、ファーストは両親の性行為、セカンドは出生でもいい気もします。各インパクトは人間の成長のことです)
 エヴァ=人間の営みであり、遺伝子がクローズアップされているのは、現実の女性と恋愛して子供を残そうよ、という意味。


 シンジが寝ている間にサードインパクトが周囲で起こっていたというのは、シンジ以外は成長したという意味かと思います。

 旧版のエヴァでサードインパクトはちょっと意味が違う気がします。人類補完計画発動でATフィールドがなくなりみんな溶けてしまいました。自分の愛する人間の妄想に抱かれて。つまり、他者がいない世界で、妄想の世界。人類が消えた後は十字架つまり墓標が乱立していました。
 ここで実写パートが来ますから、この状態がお前等のことだぞと言われている気がしました。
 旧版でのセカンドインパクトも、赤ん坊が海に流されますから母から離れるような意味もあったと思いますが、もっと漠然としている気が。あるいはセカンドが出生だったのかもしれません。そうなるとファーストは両親の性行為ですね。
 旧版はエヴァ=人間でATフィールドという外界との壁があるのは、他者がいるということ、がはっきりと描かれています。新版はこの各インパクトに具体性を持たせて、アスカの役割を変えたと思うのはこの辺りの描き方を変えたかったのでは?と思いました。マリを出した意味も同様です。




 新版では黒レイ、黒カヲルも登場しました。レイは自分の脳内彼女・彼氏の象徴のように描かれました。惣流アスカは現実の女の子として、自慰の対象でありシンジの性愛の対象であると同時に自分を苦しめるものでした。
 
 また、黒スーツのレイとカヲルは脳内彼女、脳内フレンドであると同時に、エロスとタナトスではないかと。黒いスーツですから、ネガティブなイメージでしょうね。エロス=黒レイは自慰行為とか脳内彼女、タナトス=黒カヲルは自殺願望ではないかと。
 ガフの扉とは深層の事。イドつまり超自我でしょう。

 死の衝動としてのカヲルが止めたフォースインパクトは自殺。自殺はとどまったが、シンジの心は死んでしまった。地球=シンジを取り巻く世界は死に絶えた。

 シンジを支えるのはシンジの身の回りの人、友人たちでした。世界は死に絶え=世間というものに意味がなくなった。ただ、かろうじて身近には支えてくれる人がいた。
 そして、黒レイ=エロスはつまり性=生への衝動。生きたいと言う気持ちが、生きる意味を獲得して、シンジは再び立ち上がる。
 赤ん坊への関心、食べる喜びと感謝、農業、老若男女とのふれあい、生活のそのものを描写した意味です。生きることの意味に気が付いたとき、脳内の彼女としてのレイは実体を失い、シンジの深層になったという意味。

 アスカの名前を変えた意味…クローン設定云々もありますが旧版と意味が変わってますよ、ということだと思います。新版では思春期の初恋の女の子であり現実の女性として成長しシンジを救いだそうとする。
 旧版ではシンジの性の対象。性欲では近づきたいと思うけど拒絶されると殺したいほど憎い女性という存在。中身が違うというメッセージでしょう。

 マリは偶然出会う現実的なちょっと肉食系女子。冬月、ゲンドウの近くにもいたけど、ゲンドウも冬月も綾波=ユイ、つまり理想の女子を追ってしまった。

 ゲンドウ=シンジであり、虚構に逃げ込んだゲンドウに対して、虚構から逃げられたシンジ。親子問題もありますが、助からなかったシンジと助かったシンジとも取れます。一方で最後は子供によって救済される?

 エヴァ世界が虚構というフレームもありますが、これは別のもう1つの構造だと考えた方がすっきりします。あるいはアニメ制作の虚構性を否定したのではなく、脳内彼女としての美少女を否定したのでは?という気もします。そうなると別の構造ではなく、一気通貫の人間の営みは性愛だよ、というテーマで奇麗に完結します。もう1つはエヴァからの卒業と言う意味ですね。

 という感じで、新劇場版のエヴァ世界を俯瞰するとスッキリするかなあ、と。特にQの後半からシンの不自然に長い農業のシーンの説明になると思います。生の喜びを知るのに、シンジの葛藤をあまり短くは出来なかったのでしょう。





以下 2回目の考察。

 まず、レイです。レイは生活と農業を知り、また、生命が生まれ育つということを学びました。我々って何を食べて生きてるの?ということすら、分からなくなった我々を表しているということだと思います。そして、Qで分かる通り、本来のレイは破で消えて、イマジナリー彼女としてのレイでしたから、これはシンジが生活を知ることで、レイをその場に留めておけなくなった。つまり、シンジの成長です。

 そして、アスカ。彼女はシンジが好きだったと明言しますし、作りものということもわかります。そのアスカもまたラストまで残りません。アスカはガフの扉の深層で心の壁を突破しようしますが、上手くいきません。そこで使途になりますが、結局ATフィールドは突破できません。これは初恋の人とは上手く行かないというアナロジーに見えますし、また、やはり想像上の人物=想い出でしかない。

 シンエヴァにおけるこのダブルヒロインは、2人のけじめの話であると同時に、シンジの中の想像上の美少女(レイ)と、過去に結構仲が良かった記憶の女の子(アスカ)の2人を象徴している感じです。

 アスカはシンジにとって「中学校のときに両想いだったんだぜ」と、それ以降誰とも付き合ったことがない28歳くらいでも言っている過去の栄光に見えます。結局アスカは生活をちゃんとしているケンスケに惹かれ付き合います。
 レイは既に破で男に喰われている感じがありました。カヲルと合わせると同級生をモデルにバーチャルを構築した感じに見えます。ラストは、実際の2人はシンジと中学校以来係わらず、単に普通のイケメンカップルだったということでしょう。

 ここで北上ミドリですね。ピンク髪のギャルです。この子が世間の本音でした。男がエヴァに乗る。つまりイマジナリーの世界にひきこもる。それが許せない。そして、同時に鈴原トウジの妹サクラです。Qでは一見シンジに優しく接していた彼女も、やはり北上ミドリと同様に、シンジがエヴァに乗るのが許せない。ここはちょっときついですよね。一見清純そうに見えて、実は北上ミドリ以上にシンジを嫌っていたのかも。
 一方で、ミサトだけはシンジを擁護する。母の立場が今回は強調されていましたので、これは母の目線でしょう。

 マリは今、シンジの近くにいる女性です。結果として、この娘がシンジのパートナーになる意味です。唐突に破で登場しましたが、女性との出会いとか結果誰と付き合うことになるのかわからない。わからないけど成長したとき、付き合う女性は理想の女性じゃなくて、近くにいる娘だぞ、という気もします。
 いい匂いがする…気があうという意味?あるいは肉食系からのアプローチ?

 序で14歳の孤独と親との関係から始まって、破では思春期の性とか恋愛になります。
 その後Qは思いっきり虚構感がまします。これは14歳の頃の初恋の娘との思い出にすがって生きて行く、あるいはバーチャルやインナースペースで生きるという表現でしょう。その世界を捨てると何もなくなってしまう。

 シンです。更に大人になったとき、バーチャルを捨て過去の思い出や空想にすがるのではなく、生活と子供を産むという意味を知る。そうすると身近な女性と出会えるよ、と。そして遺伝子残そうぜ、ですね。

 マリは身近な女性の象徴です。特定の誰かではないでしょう。初めは相手にしなくても、気が合えばつきあちゃえば?という事だと思います。


 新劇場版4作再視聴して、やっぱり面白い、映像も設定も演出も全てがすごい、そして深い作品だなあと思いました。その深さは、設定考察やオマージュ探しではなく、少年の成長の物語としてみたいですね。





以下、初回の視聴時のレビューです。

視聴当日のレビュー

{netabare} なるべく情報をシャットアウトして、自分なりのエヴァの見方をしようとしました。で、アマプラで本日視聴。なるほど、という感じでした。面白かったという前に、やはり何かが終わった寂しさのほうが強いですね。

 冒頭のやたらと長いコミュニティーでの生活。原始共産主義礼賛というわけではないのでしょう。つまり、生活です。綾波がプラグスーツで農作業をする意味。虚構では生きられないという事なのだと思います。少しメタ的に言えば、お前等はこういうJK・JCばっかりではない、ばあさんも主婦も赤ちゃんも出てくる映画が見られるか?という問いかけでもある気がしました。
 そして、オタクたちが愛した綾波は名前を失い、生活し感情とコミュニケーションを覚えることで綾波に戻り、そして退場しました。

 ラストの方のスタジオを模した作り物の空間での戦い。ゲーム機。絵コンテのような画面。まあ、言うのが恥ずかしいほど虚構を強調していました。そして、成長した綾波もアスカもシンジではない人と共にいます。シンジ=オタクの代表だった人にとっては2人は憧れ、高根の花、もっと言えば夢の中にしかいない女性なのでしょう。

 あれだけ皆が熱狂し考察した人類補完計画が結局は親子喧嘩だったと。家にいるか、外にでるか。それを屁理屈を付けて議論していたということです。それも2人とも現実と向き合えない内向的な性格だったがために起きた、こじれにこじれまくった喧嘩だったと。

 巨大綾波は旧エヴァの最後では神秘的な天使でした。シンではリアルでお肌にブツブツがあるような造形でした。これも綾波というオタクの女神さまも、結局リアルに描けば毛穴はあるし睫毛も完璧な生え方などしていないということでした。首の無い女の身体の群れは、女性を個人で見ないで女性という塊で見ているということでしょうか。現実のリアルな綾波との対比で、女を単純化して語るな、というようにも見えました。

 あのピンク髪の北上ミドリという人は、リアルな女性の代表的な意見なのでしょう。オタクなど殺せと。もうエヴァには乗せるなと。

 いろいろ書きましたが、今回、話があるようでありません。見ているほうも設定もなにも気になりません。上のような現実に戻れ、大人になれ、エヴァから離れなさいを言うために作られた三下り半でした。
 この映画の凄いのは、綾波やアスカに対するオタクとしての憧れが、急激に冷めてしまう作りになっていることでしょう。

 さて、つまり本作はあまり考察しても意味がありません。なぜか。もともとエヴァそのものが若いオタクたちが、究極のオタクアニメを作ろう。欲望を徹底的に形にしてやろうという意図のもと、庵野秀明を中心とするクリエーターたちのオナニー用のオカズとして生まれた作品だからです。

 そこから抜け出して現実の女と付き合えというメッセージ。つまり旧エヴァ最後の観客を映すシーンを2時間以上かけて説明したともいえますし、シンラブアンドポップ、シンカレカノでもありました。

 今作でやたら、胸ではなく下半身の作画、特に尻の後ろから俯瞰した股の造形がリアルでした。アスカもずっとパンツでしたし。プラグスーツのデザインもかなりシンプルでした。女性の見せ方の意図はわかりませんが、何かが言いたかったような気がします。ひょっとしたら、萌えではなく下半身に興味を持てという意味でしょうか。
(追記 アスカがパンツで寝がえりを打つシーンのパンツと恥骨のところの隙間の作画がすごかったです。ここで、ん?となりました)

 それにしても、庵野秀明がエヴァもアニメもオタクも何かが終わったというメッセージを流したということは、シンナウシカはやはり無理なのでしょうか?

 宇多田ヒカルじゃなければもっと浸れたのに惜しかったですね。{/netabare}



視聴翌日のレビュー

{netabare}まだ1回目しか見てませんがじっくり考えてみました。やっと「虚構を捨てろ、大人になれ」が言えました。


マリというのは設定上はどうか知りませんが、TVシリーズに出てこなかった女性です。本作の中盤からシンジを結末へと導き、そしてラストは、シンジと電車に乗らずに階段を上ります。

 つまり、オタクの妄想の極致として作っTVシリーズのエヴァ、そして綾波とアスカ。エヴァの無い世界。彼女たちとは違う行き先に言っていたらどうなったのか。アニメという世界に捕らわれていた首枷を外してくれるのはマリでした。

 エヴァというのは非常に性の匂いがする物語でした。いくら設定や世界観でカッコつけても性欲が顕在化して作られた妄想の世界です。
 だからこそ、綾波もアスカも現実ではシンジなど相手にしません。つまりモテない男のコンプレックスの塊だったということです。でも、シンジも妄想を捨ててネクタイをしめて就職する=サラリーマンになっていれば、マリという巨乳で美人の眼鏡の女性がシンジのオタク妄想を取り除いてくれていたかも、ということでしょうか。

 アスカに対する好きだったは、過去形でした。アスカは旧エヴァでは気持ち悪いという言葉を投げつけましたが、これではオタクを卒業できなかったということでしょう。言われ慣れていますし、その言葉に対しては開きなおれてしまったわけです。好きだったけど、もう付き合う事はない、と自分で納得して理解することで、エヴァと決別できるということだと思います。

 あの駅は何かに縁がある駅なのかもしれませんが、私はなんのことかわかりません。でも、多分エヴァとの決別を象徴する場所なのだろうという想像はつきました。

 もう1つの解釈は、今のアニメのありように対する後悔です。アスカや綾波から派生したオタク文化がアニメを破壊してしまった。クリエータとして、現実の女がちゃんと書けていれば、アニメ文化は違う形になったかも、という見方もできます。

 いずれにせよ、エンディングは他の世界です。つまりエヴァが存在しないIFの世界でした。

 あと、1回。もう少し時間がたったら、シンエヴァをじっくりみてみたいと思います。 {/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 15
ネタバレ

ゅず さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

今までのエヴァまとめレビュー

【このレビューについて】
✳︎注意✳︎
エヴァの繋がりを
まとめたレビューであり、
シンエヴァ自体の話ではなく
見る前に把握しておきたい

私の考察、考え
による個人的な情報です。

このレビューを読んだことで、
ネタバレや
見方、考え方が変わったり
頭を使い、頭が痛くなったり
する方もいると思いますので

そのことを十分、承知の上
読んで下さい。

あと5000文字超えたので
長文注意!

【自分が見るエヴァの世界】
{netabare}
すべてのエヴァ作品が繋がっていて
終わりと始まりを繰り返す
ノアの箱舟の繰り返し。

何度も繰り返し、
少しずつ変わっていくことで
ミニュマルミュージックのような
ものが出来上がっていく。

そんな生きた音楽を
楽譜に起こすようなアニメ。
{/netabare}


【エヴァの楽譜を作ってみた】
{netabare}

アニメ:ヴィーデ?: 序:1.0/I破:2.0/Q:3.0/シン3.0+1.0¬
アニメ:I日劇場版: 序:1.0/I破:2.0/Q:3.0/シンエヴァ:II

【解き方】

:はリピート
0はインパクト(旧劇場版のようにみんな生命のスープになってやり直し)
/はインパクト阻止(0のスラッシュを分解した)

ちなみに旧劇場版とは
Air/まごころをきみに のこと。

【わかりやすく順番】
アニメ シンジくんが自分の居場所を見つける

アニメ→旧劇場版 ヒトはヒトの形として再生する
↓↑

①(序)君は一人だ

②(序)君は一人じゃない→(破)君は進むことができない

③(序)君は一人じゃない(棺桶からカヲル君登場)→(破)君は進むことができる→(Q)君はやり直すことができない

④(序)君は一人じゃない→(破)君は進むことができる(カヲル君はじめましてお父さん)(Q)君はやり直すことができる(カヲル君と出会うがカヲル君がシトに接触することによってインパクト)

⑤(序)君は一人じゃない→(破)君は進むことができる(カヲル君がガフの扉からでてくるがインパクトは阻止できず)→(Q)君はやり直すことができる→(碇指令に仕組まれたことだと気付く)→(シン)3.0(現実に戻れない)→Q

⑥(序)君は一人じゃない→(破)君は進むことができる(やっと君に会えたね)→(Q)君はやり直すことができる(カヲル君、おかえり)→(シン)1.0(初めからやり直すことができない)→Q

⑦(序)君は一人じゃない→(破)君は進むことができる(カヲル君、今度こそ君だけは幸せにして見せるよ)→(Q)君はやり直すことができる→(シン)3.0(現実に戻り)+1.0(初めからやり直す)ことができる→

【↑に関わるキーワード】
画像で見ると殴り書きだから
音楽記号と
特に似てるような気がする

evangelion エヴァンゲリオン
||:vexasions:|| ヴェクサシオン きっちり840回だけ繰り返して(それ以上でもそれ以下でもない)

ってこともあるのかも。。


ヴィーデとは
旧を分解して→I日
日++したらヴィーデ。

元々旧劇場版なんて後から呼ばれるようになったけど
私が監督だったら↑の音楽記号の意味にさせてしまう
と思う。

アニメにも全部:の記号ついているのは気になる。


そして旧劇場版のサブタイトルは
ONE MORE FINAL
もう一度終わる。

旧劇場版はレビューで書きましたが
終わりの物語であり。
始まりの物語である。
インパクトによって
人類の始まりがおき
人類の終わりがおきる。
生命の誕生物語。


あとあと序の1.0.I は
何故Iがついてるのか…謎
Qの0のスラッシュだけ突き抜けてるのはここで大きく変わるってことだと思うけど。ロンギヌスの槍みたいだね。

Air/まごころを、君に
スラッシュが入ってるのにも何かありそう。
{/netabare}

【何故、新劇場版じゃなく、シン劇場版なのか】
{netabare}
新劇場版は三部作って
監督が言ってましたよね?
つまり三部作とは
新劇場版の序破Qのことである。

ということはシン劇場版は
三部作とはまた別の作品という
考え。
もちろん話は繋がってますけどね。

あと
これ私も良くやる方法があって

カタカナにすることで
意味を付けずに
いろんな漢字(意味)を
当てはめれるようにしたんだと
思います。


私は「真」を1番に思いつきました
真心を君へ と真実 という意味

そして「神」
シンジくんが
「神」になる。
エヴァといえば
繰り返す物語ですしね。
{/netabare}


【Qってなんで英語になったか】
{netabare}

序破急 って言葉があって
急がQになりました。
Oの中でずっとループして
、で外に出られる。
ってのが自分はシックリきてます。

ショパンの曲で序破急幻っていうのがあるみたいです。
ショパンは好きそうですよね。

昔、パチンコ台の説明書で
エヴァの序破急◻︎と四つ目の文字を見た覚えがあるのですが
その時はこんなにエヴァのワールドに入っていなかったので
もう覚えていないです。
答えを見たのに、思い出せない。悔しさ。

{/netabare}

【Qから急に宇宙にいるけどなにが起きたか】
{netabare}
インパクトが起きて、シンジ君がエヴァに取り込まれたまま宇宙に飛びます。(旧劇場版みたいな感じ)、だけど技術的に簡単にそのシンジ君が取り込まれたエヴァを回収できません。
更にインパクトを起こしたモノなので
念入りに
棺桶のようなモノにもいれられ
そんなこんながあって
長い月日が経ちました。

それがQの次回予告にまとめてあります。
予告ではなく、空白を埋めるために作られし予告。
またそこの部分は必要以上にやらなくても
いいのでやらなかった。

または
この予告すらもっと先の予告で
シンエヴァンゲリオン:急
とかってのも悪くないですね。
{/netabare}

【Qの槍のとこの急展開説明】
{netabare}
願いを叶えるためにはカシウスの槍とロンギヌスの槍両方がないと成立しない。

カシウスの槍だと思い込んでいたのはロンギヌスの槍で
全てはゲンドウの仕組んだ罠であり。それに気付かずカヲル君ははめられたってことです。

そしてロンギヌスを抜いたことによって仮死してたシトがエヴァを飲み込もうとします。
カヲル君がシトなのでシト同士の接触でインパクト起こりそうになります。カヲル君、食い止めようと自ら死にます。光となって飛んで行きます。

マリちゃんが強制で
シンジ君のプラグ排出。
ニアインパクトで済みました。
{/netabare}

【Qの周りのヒトからシンジ君への態度について】
{netabare}
ミサトさんは
あなたは何もしないで。
やトウジの妹の言葉。
アスカのイライラしてるような
態度。

なぜこんなにみんな冷たい視線なのか?シンジ君だけ何も教えてもらえずなのか?


時間が経っていて、シンジ君には理解できないだろうから、少しずつ教えていこうとしてた。といえば
辻褄が合う。

世界をめちゃくちゃにした

だけどそれだけじゃ、あんなに別人のようにはならない。

そこでリピート説(繰り返しのパラレルワールドの説)
とシンジ君の願い説(新劇場版の序、破はそもそもシンジ君が理想とする妄想の世界)を使います

それは
新劇場版軸(序、破)のシンジ君の願いから(登場人物は全てシンジ君の願いで作られた人格。)
そこから目覚め。アニメ軸(旧劇場版のエヴァに羽映えたとこ)のシンジ君が現実に戻ってきたとしよう。

そうしたらミサトさんの気持ち、アスカの気持ちが見えてくる。

{/netabare}



【カヲル君について】
{netabare}
カヲル君が出てくるシーンは
他のキャラクターや場面とは違い
ワンシーンずつ
前後と話が噛み合ってない。

「今度こそは君だけを幸せにして見せるよ」「おかえり」
など
なのでそこで:リピートしているんではないか?
っていうのが

カヲル君が世界を変える説

渚カヲル君は
シ者オワリ ってのは
知ってる人は知ってると思いますが

オワリってことは
ハジマリでもあるので

彼がQで言ってた「1番の僕が…」ってことは
過去のカヲル君は最後のシシャだけど一番目に産まれてたこと
になります。

彼は使途なので
シンジくんや他のヒトとは別で
自分の意思でシンジを救おうと
変わっていっているのではないか?

というのが私の考えです。
だからシンエヴァでも
カヲル君がまた出てくる可能性も
まだある。
{/netabare}
【アスカについて】
{netabare}
自分はアスカを
序破が式波
Qが蒼龍

全く別の個体のヒトだと
考えています。

↓の三点で繋がります。

・序破のアスカは
ヴァルディエルに乗って精神汚染されていて凍結しました。
それなのにQで戦えるのか?
と考えると無理がある。

・シンジに対して序破にて
アスカは決して攻撃的とは
言えないような感じで
なんだかんだシンジを認めてた
母や梶さんには依存していなかった。なのでこのアスカはシンジくんの願いのアスカだと思う。

・Qのアスカのプラグスーツの腕や足のツギハギみたいなのや眼帯

旧劇場版で量産型にやられた傷と全部一致する


そういえば
バルディエルって
破でアスカを汚染しましたね。
初号機に
噛み砕かれましたが
生存ありで身体は不明

手でぐちゃーとするより大破では?
手から口に変わったのは
シンジくんがアスカのこと
食べたかったのかなぁ…

大破で生存アリになってるので
式波もクローンっての可能性が…。。

クローンってことは
式波って名乗るぐらいだから
綾波の半分だとして
あと半分は蒼龍アスカかな。
そして魂もまたバルディエルの件で別の可能性。

まぁそもそも女性の原点はアヤナミレイ(リリス)なんですけどね。
{/netabare}
【ついでに綾波について】
{netabare}
綾波については
旧劇場版だったかどこかで
リリスの魂を持った
ユイベースの体クローン
魂さえあれば
取り替えることのできるシトでした

今回の綾波も同じで
体はクローンで間違いないでしょう。魂もシトでいいと思います。


アスカの説と一緒で
序破の綾波は
お味噌をあったかいと飲んだり
碇くんのために!と行動する場面が
多かったですね。
だけどやっぱりこれもシンジくんの願う、綾波の姿だと思います。

Qの綾波はプラグスーツが変わりましたね。白が黒になりました、番号も変わりました。

序破までは0で白→リリスのイメージでしょうか。。

Qでは9で黒→新劇場版だとヴァルディエルですね。。

だから黒プラグスーツの綾波は
バルディエルの魂の可能性?

アニメ版の三人目の綾波とも
言われてますが
誰に対しても全く興味がないので
その線は薄いですね
{/netabare}
【シンジくんも確認】
{netabare}
序破のアスカ、綾波と同じく
アニメ版よりも、エヴァに乗る戸惑いや、ミサトさんやアスカへの関わりに積極的。

これもシンジが願う、シンジくんってことなら納得できますね。
トウジはエヴァ乗らないし。殴らないし。

ついでに周りのミサトさんやリツコさんが地下の巨人のことや、セカンドインパクトの話をするのも
シンジくんの記憶と願いなのかも。

使途はシンジくんにとって別の生き物であり、カヲル君と一緒で別の行動をとれるため
形や大きさ、強さはシンジ自身じゃいじれないってことで。
{/netabare}



【エヴァの呪縛】
{netabare}
旧劇場版で
シンジくんとアスカだけになって
オリジナルの
シンジくん、蒼龍アスカは
ヒトとは違う存在になっている

つまり
エヴァの呪縛
ってのとか
Qの最後に言ってた
リリンが迎えにこれるところまで
だったけ?

その言葉は(使途の汚染かなにかに対抗できる身体をもったモノにしか入れない場所にいる)
つまりリリン(ヒト)とは違う
ってことだと思います
{/netabare}

【地下の巨人について】
{netabare}
アニメ版では
地下の巨人はリリスであり
綾波の実の体で
機密でありました。

ミサトさんも知らなかったし
ネルフのリツコさんでさえ
リリスのことを
アダムと
偽の情報で伝えられてました。
敵を騙すなら味方からでしょうか?



新劇場版では
あっさりとシンジくんに
ミサトさんが
巨人を見せます。
リリスって言ってましたね。

だけどアニメ版仮面が違いますね。
これアダムじゃないの?
と自分は思いましたね

ついでに破の途中で
月にアニメ版のリリスっぽいのが
鍼付けされてて、エヴァンゲリオン(カヲル君が乗るマーク6)のベースにしようとしてる画像が流れてますね。
{/netabare}

【インパクトがあった傷跡】
{netabare}
新劇場版で月に赤い色の線がついている→これは旧劇場版のアヤナミが血を吹いた?時にできたあと。と言われてる。

Qでアヤナミの顔っぽいのがある→Q以前の過去、ネルフの上でインパクトがあった。
その描写は描かれていないがQのシンジくんを取り囲む人たちの話を聞いてると
シンジくんがなにかやらかしたらしい


ヒトが生まれ変わる物語だからこそ、
私は繋がってる話だと思ってます
{/netabare}

【シトの液状化について】
{netabare}
新劇場版ではシトが倒された時、
赤い液体(生命のスープなのかな?)になります。
アニメ版では自爆でもしない限り個体が残っていました。
ラミエルとか穴が空いたまま町に落ちてましたね。

形が残らないのはなんでだろうと
ふと思い、

これはシンジ君の願いの中だから
個体として残らない。
という考えになりました。
{/netabare}

【初号機について】
{netabare}
初号機だけ
すごく特別扱いされてる印象がありますよね。
それは中にユイさんの魂が入っていること
ではなく

アダムから作られしエヴァだから
だと考えてます

他のエヴァはアダムではなくリリスや別のシトから
作られた。
シト達はアダムを目指してやってきます。
そのくらいアダムの存在は秘めた力を持っているでしょうね。
{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 25

「ひろ。」 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

虚構と現実。

>1時間ちょっと視聴して
amazon prime配信初日に視聴しました。

まずはamazon primeさまに感謝を^^。
劇場へは観に行かないまでも、その興行収益や人気っぷりを知れば
なんだかんだ言って気になってました。
そういえばBDもまだ発売してないのに配信・・なのですね。
これは、異例なのではないでしょうか?。
こんなに早く観ることができたのは本当に驚きでした!。


で、視聴開始したのですが
1時間ちょっと視聴したところで、いったん休憩&レビュー記録しました。


なんか、話がぜんぜん面白くなってこない・・><。

時間が長く感じてしまう・・。


これまでの3作品のレビューに書いたことと、重複した感じ方しかできないなあ・・。


確かに絵はキレイです。
でも、それは高解像度でクッキリはっきり色が塗り分けられた
・・という意味のキレイ
ってだけであって、心が動かされるものではないような気がします。

3DCGで高解像度で線がハッキリして、角度もあらゆる角度を使って
グリングリン動かしてきますが
観ていてあまりココロが動かされないんです・・><。

なんかCG作画主張は強いんだけど、空回りしてるというか・・
そこに時代錯誤なセリフをあえて重ねてきたりしてるから
なんか、ただただ寒く感じてしまう・・。


某製作特番で、監督が確か言っていたと思うのですが
「個人が脳内で想像できるものを描いても限界がある
 想像を超えたものを偶然から見つけるために
 3D化(CGや模型)し、あらゆるアングルを拾って探してみる」
・・みたいな感じでおっしゃってたように思うのですが

・・なんか、1周まわって逆行してしまってるように感じます。

自分が真に観たいのは
TV版や旧劇場版で魅せてくれたような
クリエイター達が脳内で自由に思い描いたものを
いろんな手法・試行錯誤・アイデア・奇策?等を使って
私たちに見せてくれていたもの、そのものだったのに・・。

なんかそういった技術は今日のアニメ作品では
失われていってしまってるのだなあ・・という
”失われた技術の墓標?”のような劇場4部作に感じます。


TV版での、一見意味不明な手書き・落書き・やけくそ感?
ぐにゃぐにゃとした実際には絶対成立しないけど
それらからしか絶対生まれることのできない躍動感・空気感
といったものが、至高だったように個人的には思います。

ケレン味・・とかとも言うんですか?(←わかってないw)。


あと、こだわったアングルって
股アップ等のエロアングルですか??。



>中盤以降再開して
中盤再開したのですが、苦痛の連続。

ただただキレイに整いすぎた
写実的なものが見たいのではなく
理解不能な動き・中割り等の予想外のダイナミックなもの等が
驚きと感動を与えてくれるんだと思う

3DCGで描ききれてしまうものなんて、ゲームで十分では?・・。

音楽は、ぜんぜん印象に残ってないなあ・・。


終盤に向けても、説明的な感じが強かったかな。

ゲンドウさんやユイさんあたりの
謎解き・真相の一部分・・等が垣間見れて
一定の収穫はあったものの
その描写のために犠牲・生贄にされてしまったものもはかり知れず
(アスカやミサトさん含む)

個人的には、やはり想像させる楽しみにとどめておいてくれた方がよかったかな?。


・・ということで

やはり自分にとってのエヴァの至高は

TV版+旧劇場版+マンガ版!

ということで決着しました^^。


監督は本当に本作を作りたかったのかなあ?。

作らざるをえなくなって作ったとかでは・・(勝手な妄想)。


最後に一言。
無理やり感の強い
一気にカップリング複数成立って
同人作品ですか?(個人の勝手な同人作品に対する先入観でごめんなさい><)


-------------------------------------------------
>岡田斗司夫さんのyoutube解説UG動画x2を観て

あら、岡田斗司夫さんは本作を絶賛なのですね。
けっこう意外でしたw。

たくさんのオマージュが入っている作品
呪術的・儀式的なものもあり、それらは監督の思想そのものが反映されている。
オマージュ自体が儀式に必要なおまじない的なもの・・


のように、おっしゃってたように思いますが
もし本当にそうだとしたら
本作は、ある意味、すごく個人的な作品なのかもしれませんね・・。

(私個人の意見としては、オマージュ自体にはほとんど興味ありません・・><)



まあ、そもそも、本作は監督抜きでは絶対にありえない作品であるとは思いますが
某NHKドキュメンタリー?番組で
監督は「自分で作るのではなく人の手にゆだねた作品作りがしたい」
みたいにおっしゃってましたが

映画製作の現場においても
監督は”シンジ君”であったりしたのかな?

一緒に作っていた他のスタッフ様方は
わけがわからないまま終わってしまった・・なんてことはなかったのでしょうか?。


結局は、監督がどう納得して終えたか
そこにまわりの人はどれだけついてこれていたのか

・・そういうのって、案外、画面から伝わってくるような気がします・・。


岡田斗司夫さんはおっしゃってました。
作り方がスゴい(絵コンテなし。オネアミス時代踏襲。スクリーンで映える絶対的な構図優先等)。
・・う~ん。視聴者は、普通そこに関心持たないのでは・・?。


あと、個人的にやっぱり、新劇場版になって以降のマリの登場・物語への関与は
違和感にしかならなかったです。

・・これって、監督のリアルにおける変化の影響が濃い?。


・・結局、新劇場版で見せられたものって

自分がみたいのは、これまで物語を追ってきた登場人物達の動向であったのに

・・いつの間にか


それらが、監督そのものの思想・人生・価値観・その他もろもろ
・・を反映させるために
登場人物たちの
あらゆるもの全て(行動や思想・結末)が
すり替えられてしまってる・・??・・かのように感じてしまいました・・。


他のいろいろな解釈の中に
わざと映像その他のクオリティーを下げ?たり
あえて虚構だとわかるチープな演出を用いたりすることによって

「これは虚構です」宣言?。

現実と虚構を隣り合わせた構図や共存、混在、混沌?

からの、「もう卒業して、現実に戻ろうよ」??

という、監督からのメッセージ??。


かつてあれだけ、この世界観に惹き込ませておいて

時間が経って自分が変わってしまったから?



なんというか

そもそもアニメやいろんな創作物を楽しむことにおいて

それらが根本的には虚構であることは大前提なわけで

前提として暗黙の了解のうえで、虚構を楽しみたい視聴者に対して


論点を、すげ替えられて

あたかも○○なテーマで描かれた、面白さを犠牲にし、だけどスゴい作品なんです!!


・・といわれても、なんか詐○にあったようにすら感じてしまう自分は、感性が壊れてるのかな?。。


岡田斗司夫さんが絶賛された理由に
「これは卒業式だ」というのと「なんだ、ちゃんと終わらせることができてるじゃないか」
というのがありましたが
つい先日、早くも監督の
「空白の14年間をいつか何らかの形で光をあてたい・・」
みたいな発言があったとかなかったとか・・。

ほんとうに終わらせたんだったら
「あんなの虚構の14年間です」
でいいじゃないですか、もう。

ってことで、ほんとうに終わらせたとは、自分にはとうてい思えないのです・・。



-------------------------------------------------
>山田玲司のヤングサンデー第188回【302】(無料部分のみ)を観て

さすが山田玲司先生!。
非常にわかりやすくて納得のいく解説でした。


シン・シリーズでの監督からのメッセージは

「俺たちは14才のままでいいのか?」
「好きなものに囲まれて生きて、それで終わらせることができる時代になってしまったが
 それでいいのか?」
     ↓
”アニメファンの閉じた人生に起こる14才の呪い問題”提起


wwwwwwwwwwwwww。


いや、まあ図星ですけどw。


それじゃダメなんですか?・・w。


たしかにそういわれたら
なんか”それっぽい理由”のようにもとれますが

商業的目的のための続編製作決定がまず最初に決まり
どういう理由付けだったら古参も納得させたうえで成立させられるか?。
そこから逆算的に作られた・・なんてことはないでしょうか?。
(これもある意味帰納法・・??)


TV版終盤で、ミサトさんが
「過去をなかったことにはできない」
みたいなセリフを言ったように思いますが

本作の過去(TV版、旧劇場版)は
なかったことにされてしまったような印象が強いです。

新たな別テーマで別作品を作るため
なおかつ確実に商業的成功も収めることのできる、ただの”素材”に・・。



ああ、もういっそのこと

庵野監督 x 岡田斗司夫さん x 山田玲司先生

の対談特番を実現してほしいです^^。



-------------------------------------------------
>youtube等の各種考察動画を観て
すごく熱心な考察されている動画がたくさんUPされていました!。

今まで自分が気づけなかった点を
見事に補完してもらえてすごくありがたいです^^。

いやー、やっぱりすごく緻密に作られていたのですね、シン・シリーズ。


「ルー○された世界」

「庵野監督自身が投影された世界」


そういった観点で見ると確かに
今まで自分1人だけでは感じられなかった楽しみ方がありました。


UPされていた動画の中で
自分が特に気に入ったのは
庵野監督の生い立ちから、本作の完結に至るまでの解説動画です。


いや~、やっぱ多くのファンが
何だかんだいいつつも
庵野監督を愛していることを実感させられるとともに
自分自身もそのうちの1人であることを再度気づかせてくれます。



庵野監督の実写作品

ああ~、そういえば「CUTIE HONEY」、庵野監督だったのですね。
すっかり忘れてしまってました。
すごく大好きな作品です♪。

他はほとんど観れてないので、amazon primeやその他で
観れる時にしっかり見ておきたいです。

宮崎監督の「風立ちぬ」もすごく意味の大きい作品だったのですね。
先日の金ロー、見逃してしまいました・・><。

・・痛恨。

いつか必ず観たいと思っています。



いろんな解説動画を観て
なるほどな~って思ったことは多々ありましたが
現時点での自分の評価が変化することはありませんでした。


というのも

仮にルー○された世界だった場合

誰か(人間)の主観によってルー○し、記憶を維持しているのであれば

感情移入する余地が残されていたと思うのですが


そこが明確でなく、神?のみぞ知るルー○の中で

同じキャラが出てきても

それらは、やっぱり全くの別人となってしまい

これまでのシリーズを追いかけてきた1視聴者の自分としては

感情移入できなかったというのが正直なところです。


ただ、これはあくまで現時点での自分のせいいっぱいであり

今後さらに歳を重ねて本作を視聴した際

きっとまた新たな発見があるのだろうな~って

今から楽しみにしています^^。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 21

65.0 2 SFで博士なアニメランキング2位
屍者の帝国(アニメ映画)

2015年10月2日
★★★★☆ 3.7 (300)
1620人が棚に入れました
19世紀末、かつてヴィクター・フランケンシュタイン博士が生み出した、死体に新たな生命を与えて「屍者」として動かす技術が世界に広まり、いまや屍者は労働力や兵力として世界を支えていた。
親友フライデーとの約束のため、自らの手で違法に屍者化を試みたロンドン大学の医学生ジョン・H・ワトソンは、その技術と野心を見込まれ、政府の諜報組織「ウォルシンガム機関」にスカウトされる。
そこで極秘任務を与えられたワトソンは、フランケンシュタイン博士が残した、生者のように意思を持ち言葉を話す屍者=ザ・ワンを生み出す技術が記された「ヴィクターの手記」を求めて旅に出る。

声優・キャラクター
細谷佳正、村瀬歩、楠大典、三木眞一郎、山下大輝、花澤香菜、大塚明夫、菅生隆之
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

娯楽作品としては原作よりよくまとまっています

-・-・-・-・-・-・-視聴前レビューー・-・-・-・-・-・-
本日公開の作品
私は来週けみかけさんと観てくる予定ですが
全くレビューが無かったので
誰か少しでも興味を持ってくれればと思い
筆を執ることにしました

この作品はノイタミナムービー第2段
Project Itoh3部作の一つとして
先陣を切る形になります

Project Itohというのは
2007年に彗星のごとくデビューし
2009年に世を去ったSF作家伊藤計劃の作品を
アニメ映画として公開するプロジェクトです

計劃が作家として活動できた期間は短く
世に送り出した長編作品は
虐殺器官
METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS
ハーモニー <harmony/>
の3本だけですが
その短い期間で書き上げられた作品は
閉塞していた国内SF界に
新たな潮流を巻き起こす契機となりました

PSYCHO-PASSが最初にアニメとして放映されていた時も
ネットでは計劃作品との共通点などが指摘されていましたが
こうやって同じノイタミナプロジェクトとして発表されると
やはりPSYCHO-PASSシリーズのルーツの一端は
伊藤計劃にあったんだなぁと改めて思います

既にお気づきの方もいると思いますが
前に述べた3作品の中に屍者の帝国は入っておりません
昔から文芸の神様というやつは
俊才を見つけるとすぐに手元に置きたがるようで
計劃もこの作品を数十ページ書いた時点で
神の御許へと召されていきました

後を引き継ぐ形で残りを円城塔が書き上げたものが
このアニメの原作となる屍者の帝国となります
円城氏はスペースダンディの豪華すぎる脚本家の1人だったので
小説はあまり読まない方でも
アニメに精通している方ならばご存知かもしれませんね

しかしまぁ
この作品は計劃自身がほとんど関与できていない上
他2作は近未来SFだったのに対し
この作品は19世紀を舞台にしたいわゆる伝奇ロマン
これをProject Itohトップバッターに持ってくるのは
かなりの冒険だと思います
Project Enjohの間違いじゃないのか?
とか突っ込みを入れたくなります
これがこけたら他の計劃作品に響くんじゃないか?
とか心配になります

しかしこの小説を計劃作品と認められるかどうかは別として
読み物として十分に面白かったのは確かですので
映画版の出来はどうなのかこの目で確かめてこようと思います

-・-・-・-・-・-・-視聴後レビューー・-・-・-・-・-・-

原作から比べると大分いろいろ弄ってありますが
概ねプラスに働いていたように思います

原作未読既読に関わらず楽しめる作品だと思います
原作を一切読まずに見た場合
ストーリーの細かい部分はよくわからないでしょう
しかし、そこを画面の中で細かく描写してテンポを損ねるよりも
アクションシーンで一気に押し切ってしまう方が
ずっとスクリーン映えするのは間違いありません
終盤の圧巻の映像美にはただただ絶句するばかりであります

そもそもの原作自体がハイパーテキスト性の高い小説です
文学におけるハイパーテキストすなわち超文脈とは
語句や人物、事件などの名前だけを作中に使い
その説明は作品の外に置いてあるものを指します。
もしもその言葉をしっかり理解したければ
Webのhtmlリンクをクリックして別のページに飛ぶように
別の小説や聖書、哲学書、理工書など開かなくてはいけません
場合によっては映画、漫画、アニメなどに行きつく場合もあります

この手法を使う事で限られた紙面の中に
無限の奥行きを出すことができますが
同時にベースとなるジャンルの知識に乏し人間には
その面白さがさっぱり理解されない危険性も孕みます

かつてエヴァンゲリオンが空前のブームを引き起こした背景に
この手法がありました
難解な言葉を断片的に並べ一切説明しない
その結果たくさんの解説本考察本が出版され
それらが飛ぶように売れたのは
作品の外にある科学・哲学・宗教を
ガジェットとして次々に使い捨てた結果
非常にたくさんのハイパーテキストリンクが張られていたからです

この屍者の帝国という作品でも鏤められた要素全てを理解するためには
SF・ミステリ・科学・哲学・宗教そして19世紀の歴史背景など
幅広いジャンルの造詣を要求されます
また原作ではハイパーリンクを張らずに
作中にて詳しく解説されている事柄も
映画では冗長すぎるため解説部分を丸々削除されていたりします

こんな風に書いていくと
まるでこの映画が極めて難解で一握りの人だけが楽しめる作品
というように見えがちですが
この作品の見事なところは
細かいところがわからなくても楽しめる点にあると思います
まっさらな状態でこの映画を見て細部まで理解するのは不可能ですが
スタッフもそんなことは承知の上で
全てを理解できなくても楽しめるように作ってあります
原作の魅力を言葉で説明するのではなく
直接感じてもらうというのがこの作品の切り口で
それは非常にうまくいっていたと思います

従って原作未読既読問わずオススメできる映画だと思います

以下原作と映画版の相違点について
{netabare}
かなりいろいろな点にアレンジが入っていますが
各国陣営のキャラ数の削減と果たす役割の変化が一番大きいと思います
物語の流れに沿って違いを確認していきましょう

英国

ジョン・H・ワトソン&フライデー

本作主人公にして最も大きく改変がされた人物
後にシャーロック・ホームズの右腕となる男
原作のワトソンは医学部の優秀な学生で
教授に推薦されウォルシンガムに所属することになります
そこで貸与された最新鋭の実験体が
Noble_Savage_007コードネーム:フライデー
つまりもともとワトソンの友人であったという設定自体が
映画版のオリジナルです
時折見せるフライデーの暴走も映画のみの設定
映画版のワトソンを突き動かす動機の大半はフライデーにあり
ワトソンとフライデーのエピソードは作品の中核の部分です
この部分がオリジナルなので作品としてはもはや別物に近い印象
先に映画を見てから原作本を読んだ人には
淡白すぎるワトソンがただ周りに流されて動いている様は
おそらくかなり物足りないのではないでしょうか?
このワトソン&フライデーの肉付けの巧さが
映画版を原作以上に魅力的な物語にしています

フレデリック・ギュスターヴ・バーナビー

ワトソンたちとは逆で原作でも映画版でも全く変わりませんw
実在の人物でアジアロシア境界を旅行し手記を発行しています
作品内ではその経験と胆力を買われ諜報員に選ばれたようです

エイブラハム・ヴァン・ヘルシング&M

ワトソンたちの上司にあたる人物たち
映画版では一人に役割をまとめています
原作ではMはほとんど出てきていませんが
弟が探偵をしているという発言から
マイクロフト・ホームズであると考えて良いでしょう
しかしマイクロフトはものぐさで人嫌いな性格なので
実際に表に出てきて指示を出したり対立したりする役割は
ブラム・ストーカーの作りだしたヴァンパイアハンター
エイブラハム・ヴァン・ヘルシング卿が担当しています
映画ラストにつなげるためにMの方の名前を残したのだと思いますが
クライマックスの立ち回りはMではなく
ヴァン・ヘルシングにやってほしかったところですね
なおトランシルヴァニアにおけるヘルシング卿の活躍も
作中ではザ・ワンと花嫁を巡って対決していたことになっています

ロシア

アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ&ニコライ・クラソートキン

どちらもカラマーゾフの兄弟の登場人物です
アレクセイとクラソートキンの設定は改変されていません
改変されてはいませんがいろいろと省略されています
そして結末もいじってあります

アレクセイの計画は自身を屍爆弾化し
「証拠品」として大物を吹き飛ばすという一種の自爆テロ
原作ではクラソートキンは屍者化しません
アレクセイを連れてぺテルスブルクに行き
アレクセイの計画を実行する役割がまだ残っているからです

映画の方ではインパクトを重視してか
アレクセイとクラソートキン両方とも屍者化してしまいました
これでは計画が実行できません
実行できない計画そのものの話が無かったことになり
アレクセイが一体何をしようとしていたのか
真相が明らかにされぬまま物語は進んでいきます

アメリカ

レット・バトラー

風と共に去りぬにおけるスカーレットの恋人です
原作ではピンカートンの一員でハダリーの上司
ハダリーの能力を使ってグラントを襲撃している張本人
本来なら主人公パーティの5人目だった男です
ハダリーが火炎放射器で屍者を一網打尽にするシーンは
元々は彼の登場シーンのはずでした

原作では大里化学の事件の後
日本編は続きがあり
会談するグラントと日本皇帝が襲撃されますが
首謀者が居なくなっている以上
エピソード丸々カットになっています

ハダリー・リリス

出典はSF小説未来のイヴ
映画版では発明王トーマス・エジソンが作ったことになっていますが
未来のイヴにでてくるのはそれをもじったエディソン博士
元に戻さずにエディソンで良かったような気もしますね

原作ではピンカートンの一員としてグラントに仕えていますが
実際の主はレット・バトラーで
彼の利益になること以外はやりません
屍者を操りグラントを襲撃していましたが
レット・バトラーが出てこなくなったことで
その設定もうやむやとなり
作中の彼女の存在意義自体がだいぶ薄くなっています

さらにはラストシーンでも出番を奪われています
原作では事件を終息に導いたワトソンは諜報機関に高く評価されます
しかし、その評価は身内だけではなく敵対者も含まれていました
レット・バトラーを人質に取られたハダリーが
暗殺者としてワトソンの前に現れます
ワトソンは事件の際に手に入れた屍者を作る菌株あるいは言語の結晶
それをハダリーの手で自らに注入し
諜報機関が容易に手出しの出来ない重要度の存在へと引き上げます
しかし、それによって元のワトソンの人格は失われてしまい
それが映画のラストシーンに繋がります

このシーンは介助者がハダリーからフライデーに変更され
そこに至るまでの経緯の描写もなくなっています
原作と同じような顛末なのかどうかも分かりません

日本

登場人物には特筆するものがありません

暗殺未遂事件の話は先ほど述べたとおり

ヴィクターの手記を見つけてからのシーンはほぼオリジナル
あそこも映画版ワトソンとフライデーの絆が確認できる良いシーンでした
ここに限らずフライデー絡みの改変はとにかく出来がいいですね

このあたりからロンドンに戻るまでは
ほとんど別物と言っていいくらいのオリジナル展開です

ザ・ワン

フランケンシュタインの怪物
チャールズ・ダーウィン
Noble_Savage_001
原作ではヴィクターによって造られたのではなく
ヴィクターが見つけ出し再起動させた古代文明の遺産のようです
その肋骨から生み出された彼の花嫁となる存在を
心変わりしたヴィクターが命を吹き込む直前に殺してしまったことが
メアリー・シェリーが脚色し記述した事の発端の物語という事になっています
映画版ではハダリーを花嫁に作り替えようとして失敗していますが
原作では虚空から花嫁を召還することに成功し
花嫁を連れて現場を去りそのまま行方知れずとなって終わります

おそらく原作を読んでいない人は
たいていの人がハダリーが花嫁になるシーンで
ワトソンたちが阻止して終わることをなんとなしに予測すると思いますが
ザ・ワンが花嫁を手に入れる原作の結末を先に知っていると
本当にどっちに転ぶかわからない手に汗握る展開でした

全体的に映画化における原作改変は成功だったと思います
やはりワトソンにフライデーという強い動機を与えたことが何よりも大きいでしょう
傍観者の代名詞でもあるワトソンを主役に据えたはいいものの
元来の傍観者としての性質と物語を動かしていく主人公の性質が
どちらも中途半端に発揮されてしまっているのが原作ワトソンです
よりアクティブなワトソンを用意して
傍観者となったのは事件後であると繋げた映画版のほうが
一味上手だった印象です{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 27

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

おかえり、フライデー。おかえり、ワトソン。そしておかえり、伊藤計劃。

2015年10月4日記載
多くのアニメを観ていると、中には観た人をおっ!? と驚かせるような作品が多く存在します。
心の中にぐいぐいと入り込んできて、次の展開はどうなるのか、キャラクター達がどのような運命をたどっていくのか気になってしまう。
そして一気に観終えた時、ああ、終わってしまった…という虚無感を与え、他の物事に手がつかなくなるほど影響力を与えてしまうような作品。
物語という物は人間の思考を大きくかき乱し、観てくれた人の何割かに何らかの感銘を与える。
それが人生を生きる上での指針として心の中で生き続けている人もいるほど強い力を持った媒体なのです。

それは小説でも同じことが言えます。
私にとって伊藤計劃とはそのような作品を生み出していた作家でした。
彼の作品は読者が予測すらできないほど引き込まれる力強いストーリー、誰も考えた事のない斬新な発想力、そして類稀なる構想と調査を重ねた魂の作品ばかりでした。
そんな彼も2作品目を生み出した後、3作品目のプロットを書いている途中で亡くなり、お蔵入りになったかと思われた3作品目も親友、円城塔氏によって完成したのも記憶に新しいです。
そして、昨年伊藤計劃3作品の映画が決まりました。生粋の伊藤計劃ファンとあっては観に行く行く他ない!! と堅く決意しており…


そしてついさっき『屍者の帝国』観終わりました。
もうね、圧巻の一言です…
原作とは変更点が数多くあれど、著者の伝えたかった事「意識・魂とは何か」というテーマを失わず、ただでさえ把握しにくい物語を2時間という限られた時間で理解しやすい形に持って行ったWIT STUDIOの方々に拍手を送りたいです。
しかも元々、この作品は伊藤計劃3作品の映画の中で最後に上映する予定だったとの事。
諸事情により『屍者の帝国』は前倒しになり、急ピッチで作られた作品であったにもかかわらず、ここまで凄まじい破壊力を持った作品を作れるとは、まさに感無量です。

そして内容について詳しくは伏せますが、キャラクターそれぞれが原作を読んでいる時よりとても魅力的に感じました。
主人公ワトソンが死んでしまった親友フライデーとの約束の為、仲間達と旅をしていく中で魂の本質、屍者が政治利用に使われている実態の真の意味を知っていく過程はもう見逃すことは出来ません!!

恐らく、今年のアニメ映画で一番と言える出来でしょう。
大大大、お勧めです!! 観に行くなら映画館で!!!
21グラムの魂は何処に存在するのか、ぜひ自らの眼で確かめてください。
そして、出来る事なら何度も見返してほしい。
これは観るたびに新しい発見、そしてラストシーンへの理解が深まる映画なので…
長文、ここまで読んで下さりありがとうございました!!

PS.
先の方も書いておりましたが、もし観に行くならメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の概要は知っておいた方がいいかと…
最後らへんはその話が結構絡んでくるので…


2017年1月24日再追記
あの時の息迫る感動から早い物で、もう1年以上経っていたんですね…
今思うと、何とも感情に任せて書いた文章でいやはや、お恥ずかしい限りです(笑)
こうして過去を振り返ってみると、ここまで私が熱狂的になったのは時勢もかなり影響していたと感じます。
『屍者の帝国』が上映される前に分かった悲劇的事態
観ようと考えていた多くの方が不安、懼れ、戸惑い、衝戟に飲まれた事と思います。
しかし、皮肉な物か、そのおかげか、そのようなネガティブ要素が生じた事によって、今作は私にとっての「救済」と成り得たのです。
原作のストーリー、キャラをかなり改変しても満足できた衝撃の事実
あのスチームパンク的幻想世界、闇と暗黒に満ち溢れた希望もない世界を、巧みなまでに描写された事で得た満足感
そして何より、「伊藤計劃」の遺志を貫き通した親友、円城塔氏の彼に対する想いが、最大限尊重されて描かれていた2時間
これらを融合した事で生まれた映画『屍者の帝国』は、今でも「宝物」のように輝いています。
私にとって「希望」を生み出してくれた作品こそ『屍者の帝国』であり、伊藤計劃氏の伝えたかった事を昇華した答えが見事なまでに詰まっているといえるでしょう。

さて、今作から始まった長いプロジェクトは来月の「終わりの始まり」を上映する事によって、遂に終焉を迎えます。
ここまで至る道は1年以上に亘った大変長い物でしたが、何、なんて事ありません。
人間の魂に及んだ解答が1年と少しで解明されたんです、こんなに短い物は無いでしょう…
しかも、どうやら深夜に『屍者の帝国』と『ハーモ二ー』が放送されるそうですね、こんなに嬉しい事は無いでしょう…
私も深夜放送で「終わりの始まり」に至るまでの雄姿をもう1度拝見し、それから最後の戦場、ジョン・ポールとの戦いへ臨みたいと思います。
そして、「伊藤計劃」の全てが揃ったその時はもう1度全体を観るとしましょう、読みましょう!!
「物語…それは死してなお、この世界にあり続ける技術」

-----------------------------------------
さあ、行進しよう、とぼくは穏やかに呼びかけた。
のろまも、せっかちも、思い思いに。
足並みなんてばらばらでかまわない。
のっぽも、ちびも、僕らは歩く。
丘を下って。
人の営み、生活の匂い
それを運ぶ涼やかな風の上方へと。
伊藤計劃『The Indifference Engine』「The Indifference Engine」より
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投稿 : 2024/10/05
♥ : 20
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

アーキテクチャの帝国

原作小説の印象が今一つ薄かったので細部の変更について十分に把握できてはいないが、主人公とフライデーの関係性が改変されていることが、映像化には大きく有効に作用しているようだ。
二人の関係の描写がややくどいような印象もあるかもしれないが、物語を駆動する主人公の行動の動機付けを強化することは、限られた時間の映像作品で思弁的な内容を展開するためには避けられない事だろう。

実在、非実在の様々なキャラクターが取り込まれ(主人公にしてからがそうだ)、その引用元の設定を暗示することで物語の「語り」上の情報量を増やす原作の手法に対し、本作ではその点はほとんど考慮されてはいない。

時間的に映像と共に展開する映像作品では、立ち止まって背景を考察する手法は使用できない。
キャラクターの背景についてはとりあえず棚上げして、映像の力で物語を進めてゆくが、その映像的な想像力は説明の浅さを補って余りある。
スチームパンク的な19世紀世界の情景は、有無を言わせぬ説得力で本作の「世界」を視聴者に提示してくるものだ。
シリコンチップ内の可視化できない電子の作用の代わりに、機械的に駆動される電脳ネットワークのビジュアルはこの「世界」の空気感を支配している。


{netabare}魂=(自)意識の宿る場所の探求という本作の主題は、次いで映像化される伊藤計劃の諸作にも共通するものだが、それら諸作と比較して、SF的に科学的なインスピレーションで解読を試みるものではなく、思弁に終始しているように思える。

SF的な解読の試みに欠けている分、本作の主題を呼び込むものは、伊藤計劃的な実存的な関心ではなく、社会的な領域の問題であるように見える。
そう、現代の社会で生きる上で否応なく感じさせられる欠落感が、魂=自意識の問題を引き寄せているようだ。

屍者が生者の下僕として混淆して営まれる社会は、しかし、生者が必ず死すべき存在である以上、生者は必然的に屍者に転ずる、両者が画然と区別される異質な存在ではなく曖昧に連続した同質の存在であると示している。
いわば「生者」は「屍者」の別形態であるのだと。

屍者をその部品として構成される社会システムは、したがって、生者もまた部品に過ぎないと暗示する。
「魂」の主題は、屍者=部品=生者というシステムへの反抗として立ち上がってくるものだ。

人間を部品化するディストピアはSFでは古典的なモチーフで、本作でもどこかグロテスクさを感じさせる屍者の労働の映像表現は、それを踏襲している。
が、本作の独創は、終幕で暴露されるMの野望だ。

屍者も生者も一律に「魂」を書き換えようという野望は、伊藤計劃の他作品にも共通するモチーフに見えるが、あくまで実存的な伊藤の主題化に対し、本作はやはり社会的な方向に照準しているように見える。

部品として、それでも個別の部品として管理される屍者=生者に対し、一律化して個別の管理を不要とするMの構想は、監視=規律権力の段階から、東浩紀に主導されたゼロ年代論壇で盛んに議論された、アーキテクチャ=環境管理権力への飛躍を示していると言えるだろう。

個々人の意識とは無関係に、アーキテクチャの管理で行動を管理し、意識せずにふるまうだけで社会は機能するよう設計するという環境管理権力は、ゼロ年代論壇では、欲望のままに行動するだけで良いという、社会参加の忌避を合理化してくれるオタクのユートピア的な楽観性で語られることが多かったようだ。

が、東日本大震災の衝撃でゼロ年代論壇が雲散霧消したように、オタクカルチャーからも本作のような形で異議は突きつけられている。

クライマックスで描写される、全てが屍者と化した社会で、屍者同士が演じる日常や社会活動の映像は、ゼロ年代論壇で賞揚された「動物化した人間」の「何も考えずに社会が維持される」ユートピアの行きつく先がいかにグロテスクなものであるか、はっきりと異議を申し立てている様だ。
アーキテクチャによって絶望が絶望と認識できなくなれば、「絶望」は消滅するのだというMの主張は、オタクの「ユートピア」の実相がどんなものであったのかを歴然と示している。

「魂」の特権性と、最後に屍者にも「魂」が宿る可能性を示して、作中ではアーキテクチャ権力の否定を打ち出したようには見える。
が、ラストで記憶を封印し、屍者のいない19世紀ロンドンを駆け回る主人公の描写で幕を閉じるものの、ホームズの活躍する19世紀ロンドンの世界が、アーキテクチャの支配する現代まで連続するものである以上、今でも進行を続けるアーキテクチャ権力に対して、問題を差し戻しただけと言えるだろう。


この先については、後続の伊藤計劃の諸作品に引き継がれていくのだろうか。{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
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